私が沖釣りを始めたのは40年以上前だった。
沖縄タイムス社を退職して、釣具店をオープン。
釣船を購入して本格的に沖釣りを始めた。
その頃先輩船長さん達も多く、ど素人の私は流し釣り、かかり釣り等、沖釣りの基本をいろいろ教えてもらった。
その頃のグルクン釣りは、サンマの切り身を餌に釣っていたが、間もなくオキアミが出現。
グルクン釣りはさま変わりした。
私は一人でも多くの人に釣りを楽しんでもらう為、釣り乗り合い制度を取り入れた。
一人でも所定の費用を払えば、沖釣りに行けるようにした。
それが、今の釣り体験、釣りツアーのはしりとなった。
さらに沖釣り大会も企画、多くの沖釣りファンが参加した。
その頃、沖縄開発公社(沖縄コンベンションビューロー前身)から、釣り大会の企画を頼まれ、「本土の釣り人も呼びかけ、観光の一助にしたい」という趣旨だった。
さっそく取り組んで、久米島でのつり大会を開催した。
久米島のカジキ釣りが脚光を浴びるようになった。
最盛期は40チーム、320名も参加した。
この大会で、沖釣りは大きく前進し釣り人の、グルクン釣り技能も急激にアップした。
この大会は県知事旗争奪(重量部門優勝)とあって、参加チームのグルクン釣りの竿、リール、仕掛けの工夫によって進化した。
パート②へ続く